参議院予算委員会で国政における様々な議論が進んできています。昨日、一昨日には集団的自衛権の見直し、憲法解釈の見直しにはどういう手続きによるべきかという議論がありました。
一般論で言えば、憲法解釈は全く変えられないものだとは思っていません。憲法解釈は状況の変化や時代の変化によって変えなければならない場合が出てくることもあると思います。
その際、誰がイニシアティブを取って憲法解釈の変更の議論を進めていくのかは様々な場合があると思います。
裁判所が違憲立法審査権の行使をし、従来の解釈と違うものを作っていくことは今までもありました。
国会自身も法律を作る際には当然合憲性の判断が背景にあるわけで、国会自身がこれは違憲であると考えたらその法律は作れません。立法過程の中で国会がイニシアティブを取りながら、憲法解釈を変えていくということもないわけではないだろうと思います。
行政府ももちろん憲法解釈に則して行政を執行しなければなりませんので、行政府、つまりそのトップである内閣総理大臣がイニシアティブを取って、物事を進めていくことも十分あり得るだろうと思います。
憲法解釈を時代に応じて変えていく必要性は否定できませんが、同時に安定性もなければいけません。憲法解釈があまり不安定であれば国家のあり方そのものも、国のあり方そのものも動揺してしまいますので、憲法解釈の安定性というのは極めて重要であります。したがって、一番肝心な点はそのような場合にどのような手順、段取りを踏んでいくか。つまりプロセスの議論を欠かすわけにはいかないと思います。特に憲法解釈として重要な案件であればある程、同時に国民の理解を取り付ける必要がある。そのために様々な形で国民との対話がなければならないと思います。その最たるものは国会での議論だろうと思っています。
私も集団的自衛権というのはどこかで認める必要があると思ってきましたが、それをどういうプロセスで運んで行くのが一番いいのか。今まで集団的自衛権の中身がいいかどうかという議論はありましたが、プロセスの議論はあまりされてきませんでした。このような議論は、集団的自衛権の見直しにとっては大きな一歩だろうと思います。どういう手順、段取りを踏んで国民に理解を得ていくか。そして、そこで十分に議論していくことが大事なポイントではないかと私は思っています。
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